愚痴庵 下足番 河合行利
最近、新聞紙上で著名な方たちが同じ様なことを言っていることに気が付いた。
政治学者・姜尚中さんは、「この10年で僕も変わりました。時が熟成して初めて分かることがある。ひしひしと感じています。国家やデモクラシーといった『大文字の言葉』で語られる世界ではなく、ささやかであっても、かけがえのない個人の生き方や価値というものを大切にしなければと思った」、と言う。
東京大教授・吉見俊哉さんは、「今の世界的な価値は、『より楽しく、よりしなやかに、より末永く』だろう。しかし、QOL(生活の質)やレジリエンス(柔軟さ)、持続可能性の方が大切だ。その実現には、巨大イベントではなく、まちづくりやコミュニティーづくり、教育の仕組みづくりといった小さな取り組みを積み重ねるほかない。そこから、ポストコロナの社会に適した、価値や社会のビジョンを見定めていく必要がある」、と言う。
昭和女子大・坂東真理子さんは、女性の立場から「今は一人ひとりが職場や家庭を変えることが大切だと考えています。首相や大統領になれなくても、家族や同僚、上司を少しずつ変えることで、世界を変えることができます。」、と言う。
これが、「定常化時代」と言われる今の時代感覚なのだろう。
グローバル化が叫ばれて、あらゆるもののスピードは速まり、ひとりひとりの守備範囲が広くなった。豊かになる人と、そうでない人の格差も大きくなり、文化は壊され、資源は食いつぶされ、今や地球も壊れかかっている。
そしてみんなが疲れている。
ゴリラ博士の山極寿一さんは言う。
「人間の生物学的な時間感覚と、バーチャルで文化的な時間がミスマッチを起こしているからです。いまは『ICTの時代』と言われていて、どんどん科学技術が進歩している。我々は、その時間感覚やその進歩に慣らされてしまって、世界はどんどん変わっていくような気がしている。けれど、我々の身体はまだ縄文時代にいるわけです。あるいは狩猟採集時代にいる」。
疲れるはずだ。縄文時代の体で今の時代を生きているのだから。
ここまで書いてきて、「愚痴庵」はいい線行っているということに、気が付いた。
「愚痴庵」には、縄文時代の時の流れと空気が流れている。小さな渦ですが、縄文時代の人たちが「火」を囲んで静かにおしゃべりをしている、そんな小さな風が愚痴庵には吹いている。
アイシュビッツで生き残った人たちは言う。
「希望だけでは生き残れなかった。毎日のささやかな営みを丁寧に続けた人が生き残った。どんなに絶望しても、朝起きた時に服にこびりついた泥を払い落とし、髪の毛を整える。そんなふうにして、自分の尊厳を守ることが大事なのだ。」
茨木のり子は、「小さな渦巻」という詩を書いた。
ひとりの人間の真摯な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくる
小さな渦巻をつくりに、みなさんも愚痴庵を覗いてみませんか。
2022年3月9日記