私たちNPO法人岡山マインド「こころ」は「精神障害」といわれる生きづらさを抱えた当事者が20名(正会員の約2/3を占める)の会社です。「隠さず」まちに出る、無いものは自分たちで作る。こうしてまちの中でアパートの1室などを借りながらグループホームを23部屋展開し、長期入院されている仲間を迎え入れてきました。補助金なしで運営する地ビール醸造所「真備竹林麦酒醸造所」で作られる地ビールは、JR西日本の特別列車に採用されたり、G7教育大臣会合レセプションに採用されたりと地元の人々から大切にしていただいてきました。
西日本初の製麦プラントを備えた地域活動支援センターⅢ型「マインド作業所」を2017年5月に整備し、本物の地産地消の地ビールづくりを通じて新たなまちづくりの展開を準備していました。
真備町はやさしいまちでした。それはメンバーの当事者のみなさんが「隠さず」に暮らしてきたこと、まちのみなさんから「ありがとう」をもらえるまちづくりをしてきたからでした。お年寄りの家に弁当の宅配ボランティアをしたり、「マインド親子クラブ」を若いママたちと作ったり、まちに土着しながら「お互いさま」、「ありがとう」を言い合えるまちづくりをしてきました。
そんなまちになってきた・・・2018年7月7日(土)、私たちが暮らす倉敷市真備町は西日本豪雨災害で泥水に沈みました。最深部は5.4m、死者51名、被災家屋5600棟。
避難警報は発令されていた・・・でも私たちが選んだのは二階部分への垂直避難でした。「まさか二階までは」。7日早朝5時前・・・小田川の堤防が切れて泥水が迫ってきました、グループホームの二階には6名がいる、そしてもっと低い場所にあるマインド作業所の二階には2名が避難している・・・私は自宅から足ひれを持ち出して泥水の中に泳ぎ出ました。グループホームの2階の踊り場にいた5名を道路向かいの高台の家の二階のおばあちゃんの家に一人ずつ泳いで渡して、一番心配なマインド作業所へ。そこには二階の足元まで泥水に浸かったまま窓から身を出す2名の人。「生きてた」。浮かんでいるタイヤやポリタンを拾い、「これにさばって屋根に上がろう」。窓を壊してそこから水の中へ降り、何とか屋根に上がることができました。
屋根の上で腰まで浸かったおじいさんや屋根にしがみついている人や猫を安全な場所に上げた。それから7時間、投げてもらったタバコに感謝しながら救助を待ちました。空にはヘリコプターの轟音が舞い、でも不思議にみんな恐怖はありませんでした、馬鹿を言いながら圧倒的な自然の力を前にして、「病」も何も全てが平等に浸かったまちの風景の一つになっていました。 消防の人と、グループホームの前のおばあちゃんの家に向かうと、ベランダで5名が待っていました。「遅くなってごめん」、泣きました。彼らはこう言いました。「僕たちは最後でいい、まずはおばあちゃんを、そして、あそこには子ども連れの親子がいる、あそこに高齢の夫婦がいる、あの人たちを先に助けてあげて」と。10時間後、私たちは丘へ上げていただきました。
水が引いて言葉を失いました。空っぽの家々が立ちすくむ・・・まるでムンクの絵のようにポッカリと口を開けた窓や扉・・・夜になると真っ暗で誰もいないまち、カエルの鳴き声一つしないまち。そんな中でしたが、精神科病院に避難していた仲間たちが帰って来てくれました。泥水に浸かり、みんなで掃除した部屋、布団一つしかない部屋、それでも彼らは帰りたかった・・・8月1日、16名がまちに戻ってきました。
彼らはドロドロのまちを見下ろす小高い丘の上にある精神科病院に三週間の避難入院をしていました。まちの人たちやボランティアの人たちが汗だくで泥と格闘している最中、彼らは外出禁止でした。彼らは言います、「まちの人たちと一緒に泥かきをしたかった」、「早く帰りたかった」と。
29年、25年、19年、そんな長い入院を経てマインドのグループホームに来てくれた仲間たち・・・でもまちに人がいない・・・何のために私たちはまちに戻ったのか、このままではいけないと思いました。まちの復旧なしに、私たちだけが助かっても意味がない。そこから私たちはみんなで話し合い、まちの復旧へ向かいました。
毎月一度、「地ビールと音楽の夕べ」を呼びかけました。みなし仮設住宅へ出られたまちの人たちに集まってほしかった。第一回目はなんと300名。現在まで延べ3,500名ものまちの人たちが集まって下さりました。
11月1日、被災したまちの人が被災した人を支援する、「お互いさまセンターまび」を立ち上げました。被災して町外12の市町村のみなし仮設住宅にバラバラに孤立する人は8000名を超え、見知らぬまちのアパートの二階に足の悪いおばあちゃんが一人住んでいる・・・要援護(65歳以上の高齢者、障害者、支援が必要な児童・ご家族)の方々の元へ軽四3台で「移動支援」を開始しました。この1年間で延べ2,000件走りました。マインド作業所の利用者も「生活支援」に走っています。
この水害で真備町では51名の命を亡くしましたが、そのうち42名が要援護者(65歳以上の高齢者や障害者)でした。じわじわと水が迫ってくる中、逃げれなかった人、逃げなかった人たちが水にのまれていきました。私たちの失敗、そして教訓から、「弱者を置いてきぼりにしないまちづくり・お互いさま復興」を目指してこれからも自分たちのできる「役割」を、まちの復興に向けていこうと思います。「精神障害」という壁を越えて。